Gracias a la Vida2007/12/17 00:00

BSハイビジョンで再放送されたもの(オリジナル 2003年 BS2放送)

Gracias a la vida
Violeta Parra 作詞作曲

Gracias a la vida, que me ha dado tanto.
Me dio dos luceros, y cuando los abro,
Perfecto distingo lo negro del blanco,
Y en el alto cielo su fondo estrellado,
Y en las multitudes al hombre que yo amo.

Gracias a la vida, que me ha dado tanto.
Me ha dado el oido que, en todo su ancho,
Graba noche y dia grillos y canarios
Martillos, turbinas, ladridos, chubascos,
Y la voz tan tierna de mi bien amado.

Gracias a la vida, que me ha dado tanto,
Me ha dado el sonido y abecedario.
Con el las palabras que pienso y declaro,
"madre, amigo hermano" y luz alumbrando
la ruta del alma del que estoy amando

Gracias a la vida, que me ha dado tanto.
Me ha dado la marcha de mis pies cansados.
Con ellos anduve ciudades y charcos,
Playas y desiertos, montanas y llanos,
Y la casa tuya, tu calle y tu patio.

Gracias a la vida que me ha dado tanto
Me dio el corazon, que agita su marco.
Cuando miro el fruto del cerebro humano,
Cuando miro al bueno tan lejos del malo.
Cuando miro el fondo de tus ojos claros.

Gracias a la vida que me ha dado tanto.
Me ha dado la risa, me ha dado el llanto.
Asi yo distingo dicha de quebranto,
Todos materiales que forman mi canto,
Y el canto de ustedes que es el mismo canto.
Y el canto de todos que es mi propio canto.

英語での訳詩をもとにして、日本語に訳してみた。


人生よ、ありがとう、こんなにたくさん わたしにくれて
二つの明星を与えてくれた、その目をひらくと
はっきりとわかる 白いものと黒いもの
空の高みの 星の深さ
人混みの中の 愛する人

人生よ、ありがとう、こんなにたくさん わたしにくれて
聴くことを教えてくれた そのあまねく広がり
昼と夜がとらえる コウロギの声 カナリヤの歌
ハンマー タービンの響き 吠える犬 突然の雨
そして 愛する人の優しい声

人生よ、ありがとう、こんなにたくさん わたしにくれて
音と文字を与えてくれた
そこから生まれた言葉で わたしは思う わたしは話す
母 友 兄弟のこと 輝ける光のこと
愛する人の魂へとたどる道のこと

人生よ、ありがとう、こんなにたくさん わたしにくれて
疲れた足を歩かせてくれる力
わたしは歩く 街をぬけ ぬかるみをぬけ
浜辺と荒野 山々と平原
そしてあなたの家 あなたの通り あなたの中庭へ

人生よ、ありがとう、こんなにたくさん わたしにくれて
心臓をくれた それは体ごとわたしを揺さぶる
人の英知の実りを目にするとき
悪しきものから隔たる善きものを見るとき
あなたの澄み切った瞳の底を覗くとき

人生よ、ありがとう、こんなにたくさん わたしにくれて
笑いをくれた 涙をくれた
だからわたしは喜びと痛みの違いがわかる
それらはすべてわたしの歌を形作るもの
そして、この歌はあなたたちの歌 同じ歌
みんなの歌 わたし自身の歌

*

誤解を招く柳田充弘先生のイエメン戦ブログに反論2006/09/08 10:23

本当はちゃんとトラックバックをすべきなのかもしれないが、
知人に先生のブログを見に行く人が多いので、ヘタにたどられたくない、と
思い、トラックバックはせずにここで文句だけ書かせてもらう。

9月7日の柳田先生はアジアカップ予選の「イエメン戦」を見て、こう書いた。
「きのうのイエーメン戦、勝ちましたけれども見栄も外聞もない試合でした」

先生が上記を強く感じた原因は大熊コーチの大声連呼だった。

「選手の名前の連呼など、憚ってられない、それで見栄など無い、こういうことです。誇り高きあのジャパンブルーの戦士達ではこの高校生あつかいは耐えられないのでは無かったのでしょうか。」

「しかし、なるほどこれほど赤裸々にチームの事情が見えてきたゲームはいままでなかったでした。日本代表とはいっても、こういうレベルかな、それともオッシム監督、こういうのが好きなのかな、とまで思ってしまいました」

誤解を招きやすいのはここだ。

先生は大熊さんがオシム監督率いる代表のスタッフにコーチとして
加わってからしか、大熊さんのことを知らないようなのだ。
だから、前から存在する現象をさも、初めて出現したかのように書いた。

これは大変危ない「ものの見方」だと思う。
大熊さんの恥かしい行動言動について書くことはしかたないが、
このことをさも、今回の代表に顕著な現象として書くことは間違っている。

A代表の試合しか見ない人は、不用意に試合の感想を総論に敷衍するが、
短期間の寄せ集めチームのひとつの試合だけで、自分には何かが見えると
思うのは思い上がりではないだろうか。
せめてここにいたるプロセスを知ろうとすべきだ。
特に、今回のように大学人、研究者として著名な柳田先生のブログは
多くの人間が読みに行くからなおさらだ。

大熊さんの大声の連呼は今に始まったわけではなく、
彼のあの言動はもうずっと前から、ああなのだ。
オシムさんになんら関係ない。

大熊さんは日本サッカー協会がずっと贔屓にしてきた人間で、
2003年ワールドユースと2005年ワールドユースの監督を
任されてきた人である。
4年あまりも日本サッカーの将来を背負う若きエリートたちを率いてきた人なのである。

何年も前から、おしなべてサッカーを愛してきた人間は、
テレビで選手の名前を大声で連呼し、最後には「がんばれ~」などと
国際舞台で恥をさらすようなことしか言えなくなる大熊さんを嫌というほど見てきたのだ。

そしてそんな彼を重用してきたのは日本サッカー協会だ。
協会が、オシム監督をサポートするスタッフとして大熊さんを選んだのだ。
オシムさんが選んだのではない。
コアなサッカーファンの間では、大熊さんや井原さんがコーチとして
入閣したことに対する疑問の声も多いのだ。

「日本サッカーも地に落ちた、まるで小学生サッカーだ」と思った柳田先生の
気持は間違っていないが、それはもっともっと以前から、そうだったのであり、
日本サッカー協会がそういう道を歩んできたことを知るべきである。

つっこむならば、ネットで「大熊 代表」を検索してみるぐらいした上で書いてほしかった。

冷静になって振り返れば、ジーコ前監督は、俗に言うサッカーエリートたちを
集めた代表チームを率いていながら、シンガポールや北朝鮮、カタールなどに
苦戦してきた。
最後の最後に奇跡のような1点をとったFW、永井、久保、大黒を覚えているだろう。
なにひとつ変わってはいない。というか、そんなに簡単に変わるわけはない。

日本には昔から見栄も外聞もなかったのに、勝手に見栄をはっていただけなんである。
その事実をオシム監督は「楽観していたからこそ失望があったのだ」と言った。

ジーコ前監督の黄金伝説に踊らされた人は、日ごろJリーグを
見ていない人が多いと思うが、Jを見てきた人間はオシムさんの価値を知っている。
ジェフを躍進させたオシム監督の手腕は、並みの日本人監督には
到底及びもつかないものだ。
ジェフ以外のチームのサポーターなら、サッカーエリートとは無縁の選手たちでも
これほどのハーモニーを奏でることができるのか、と悔しい思いをさせられたことは一度ではあるまい。

オシムさんの改革を心から応援する者としては、大熊コーチの(いつもどおりの)行動で
オシム監督のチーム作りに疑問の声があがるのは、本当に残念である。
オシムサッカーは、その対極にある(はず)。
すばやい判断とリスクを冒す挑戦を、チームのためにすること。

そういうサッカーが代表で見られる日を辛抱して待っている。
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吉村順三2006/08/13 15:01

人と話をしていて、この人の名前が思い出せなくて困った。
そういうわけで、ネットで名前を調べなおし、ここにメモっておく。

この方の名前を知ったのは、新日曜美術館で「吉村順三建築展」を
紹介したからだ。

http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2005/yoshimura/yoshimura_ja.htm

建築なんて全然知らない世界なので、この番組で初めて彼の設計した家、
軽井沢の有名な別荘などを見た。

外壁にも暖炉がある。つつましくて、合理的で、うつくしい。
一度みたら忘れられない別荘だった。

建物の姿は頭に染み付いたが、建築家の名前はすぐに忘れてしまった。
グーグルで、
「建築家 軽井沢 別荘 暖炉 教授」

とやったら、ちゃんと「吉村順三」が出てきた(笑)。

軽井沢の別荘の写真が多く載っているブログなど、

http://www.tkb2000.co.jp/bunka/machi/ryokouki/dougai%20/2004karuizawa/karuizawa1.htm

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BSシネマ 放送予定2006/04/25 11:09

連休明けのBS2 シネマ 注目

サンダンス関連作品

セントラル・ステーション
5月8日(月) 後8:03~後9:54

かnスモーク・シグナルズ SMOKE SIGNALS 1998年・アメリカ
5月10日(水) 後8:03~後9:33

ボスニアの青い空 WHERE ESKIMOS LIVE 2001年・ポーランド/ドイツ/アメリカ
5月11日(木) 前0:56~前2:30(10日深夜)

羊の啼(な)き声 DEAR ENEMY 2004年・アルバニア/フランス/ドイツ
5月12日(金) 前0:56~前2:28(11日深夜)

ウイスキー 2004年・ウルグアイ
5月13日(土) 後9:03~後10:43

雲が出るまで WAITING FOR THE CLOUDS 2004年・トルコ
5月14日(日) 前1:16~前2:49(13日深夜)


上記とは関係ないけど、西部劇も特集がある。

探偵物語 DETECTIVE STORY 1951年アメリカ
5月29日(月) 後8:00~後9:45


わが心の旅 Interview2006/03/15 00:00

なかにし礼 ハルピン
終戦直後の日本人収容所

雑誌 Interview
買うつもりだったが、裏表紙が大きく破れている上、
数ページ折れ曲がっていた。
立ち読みする人の心無さに唖然とする。
読み終わったあと、無造作に棚につっこんだのだろう。

世界・わが心の旅2006/03/08 00:00

浜畑 賢吉氏の父親 慶兵衛 のあとをたどる旅だった。

メキシコの鉱夫としてわたり、北上し、アメリカに越境し
強制送還、途中ハワイ沖で海にとびこみ、漂着。
ハワイで16年
ロイヤル縫製学校を経営し、
一時帰国後、ハワイ再入国叶わず・

その足取りを賢吉氏がたどる。

メキシコ革命のなごりや、車窓からみたメキシコなど。
それらをまとめた本「ぼっけもん走る」はWEBでも
読める。
http://the.npo-lcn.com/bokkemon/index.html

そういえば、先週は北杜夫だった。
かれもまた、斎藤茂吉のオランダの旅のあとをたどった。
ライデン博物館ではシーボルトの持ち帰った資料をまとめた
資料館。

作家早乙女勝元はベトナム、「ダーちゃん」を訪ねる旅だった。